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2010年08月22日

身辺の一工夫・ワイシャツの襟汗吸収帯 2010. 8/22

 夏場など,ネクタイを締めたワイシャツの襟が汗でジトジトするのは気持ちの悪いものです。
 あるとき(2007年ごろ)、こんなことをしてみました。
 ティッシュペーパー二枚を長い方向に半分ずらして重ね合わせ首周りの長さにし、もともとの折り目で半分に折り返します。もう二回、半分の幅に追って細長くすると、ほぼ首周りの襟の内側の大きさになります。
 これで、ワイシャツの襟の内側を覆う汗の吸収帯が出来ます。
 それを襟と首の間にはさんでネクタイを締めます。(ここで多少の要領がありますが)
 これで襟内の「衣服気候」がガラッと変わってしまうのです。
 五本指の靴下を着用しだしたらやめられないと言う話はよく聞きますが、私の場合はこれが夏場だけでなく冬場でも快適でやめられなくなっています。
 そうすると、最近、襟の内側に貼付ける形の、同目的の製品が発売されていることがわかりました。早速試してみました。期待程度には役立つようです。これはティッシュペパーよりかなり高くつくので、普段はこれまで通りにし、ここぞというときに使うように考えています。
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2009年11月03日

スーパーシンクタンク(その3)  2009.11/3

 スーパーシンクタンクの技術群は、国家レベルの政策立案のような課題において威力を発揮するものですが、その機能の一部のみを用いても、幅広い領域に著効が見込まれます。
 たとえば地方自治体の長期ビジョン策定、地域振興策、途上国への最適援助の解明、新産業の創出、企業の経営計画、深層需要の解明、商品企画、過疎地や衰退商店街また斜陽業界の針路開拓、企業の再建、店舗の再生、社会の諸問題への取り組み、人生設計、個人・夫婦・家庭の問題解決、結婚・就職に関する判断、研究テーマの最適化、未知・未経験の業務課題への取り組みなど、個人のことから世界のことまで、多くの分野に新たな希望をもたらす応用価値をもちます。
 スーパーシンクタンクは、構成要件が明確であるため、その構築に当たっては、とりたてて大がかりな陣容を設けたり社会的権威を添える必要はありません。たとえば小規模の企業でも、社員の中の適動設計修得者一名と、ISTを担当、指導する外部顧問がいれば、スーパーシンクタンクは成立します。つまり、ごく小規模から大規模に至るまで多様な態勢を採りうるのです。
 スーパーシンクタンクの時代を積極的に開くことは、社会に優れた知恵袋を普及することであり、大きな意義をもちます。その振興の鍵となるのは、ISTを使いこなす人材の養成でありましょう。そのための専門教育の講座をもつ大学または大学院の登場が待たれるところです。
 スーパーシンクタンク技術の応用部面の中でも、とくに国策形成の上流過程としての国会は、将来的には両院に専属のスーパーシンクタンク(編案局)を設置するべきであると考えられます。地方分権に伴い地方自治体が政策形成能力において自立するうえでも、スーパーシンクタンクの果たしうる役割は大きいものがあります。
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2009年11月01日

スーパーシンクタンク(その2))  2009.11/1

 具体的には、「適動設計」と名付けられた軸となる手法に即して作業が進められること、「IST」と呼ぶ技術を切り札として備えていることが二大構成要素となります。すなわち、スーパーシンクタンクは、ISTと適動設計を実践する作業体をいいます。スーパーシンクタンクに関しては、名乗ったものがそうだというような混迷は避けたいところであり、初期における事例の開発・実践者としてその該当要件を提示することは意味があると考えています。
 「適動設計」とは、問題解決の分野で、とくに問題分析の仕組みにおいて卓越した、革新性のある手法であり、段階の踏み方に関する新理論を踏まえた特有の過程構成(考程)を特徴とします。適動設計は、正則型とされる条件を満たした理念の確保によって、最善性追究機能を備えうる点が重要で、そうした本格水準に至った状態をもってスーパーシンクタンクの要素と見なすことができます。この要件に関する知識を提供するのは、理念学ならびに最善学と名付けた領域です。(拙著「企業理念」、「最善の研究」参照)
 「IST」とは、Information Synthesis Technics(情報統合技術)のことで、考究の素材となる言語データの情報要素を極めて誤差の少ない形で濃縮化・本質化し、妥当性の高い新認識の形成に貢献する、技法の集合体です。ISTは形式論理を越えた情報集約を可能とするもので、東洋的な超論理的思考を技術化したものとも考えられます。
 「適動設計」、「IST」は共に、はる研究院が開発して応用に供し技術人材の養成に努めてきたものです。
 スーパーシンクタンクの高度な知的生産機能による創造的成果物に繰り返し触れると、その内容に別格の安心感を抱くようになります。「多様な意見」や「議論の徹底」といったものの先に漠然と答えを期待することも多くあったかつての時代とはまるで違う、質の飛躍が実感されるのです。
 平行線のように交わることがないと思われてきた議論に収束をもたらす効果も大です。そのことは、多数決の原則のもとで、ときに賢明でない選択が発生することの防止にも大きく貢献するため、民主主義のあり方にも、より成熟的な新段階を開くでありましょう。
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2009年10月29日

スーパーシンクタンク(その1)  2009.10/29

 シンクタンク(think tank)は、一般に諸分野に関する政策の立案・提言を主たる業務とする研究機関とされます。
 個別の名称としては「○○研究所」となっていることも多いのですが、いわゆる研究部門が主として新知識の生成を役割とするのに対し、シンクタンクは、固有名のある事業体のための大局策の立案と提言、またその材料となる将来予測等が期待されることが多いと考えればイメージを持つ助けになりましょうか。ちなみに中国語では智嚢班子(知恵袋スタッフ)という表現もあります。
 在来のシンクタンクはその厳密な定義があるわけではなく、シンクタンクを名乗ったものがシンクタンクであると言われるほどです。また、○○党系のシンクタンクといわれるものが存在するように、ある方向性を前提として後付けの議論を展開し、シンクタンク同士の結論が対立することもありえます。そこには到達しうる成果物の品質の限界が見て取れると言ってよいでありましょう。
 われわれの技術的・理論的開拓と共に一九八五年から稼働するニュータイプのシンクタンクは、実務的な意味での最善性を追究する機能を備えたことで、在来一般のブレーン機構が到達しうる成果物の品質水準を画然と越えたことから、やがてスーパーシンクタンクと呼ぶようになりました。
 すなわち、われわれが専門用語として扱うスーパーシンクタンクの中核要件は、特別に大規模とか高水準といった相対的な特徴ではなく、実務的最善性の追究機能の存在にあります。在来型では、高々「有効策」を目指してきたものを、「最善策」を捉えうる機関へと進化させたものともいえます。
 実務的な意味で「最善性」を期待できるような方策を立案することは理論的・技術的に可能か、また最善性の検証方法が見つかるのかということについては、長らく未解明でしたが、研究の結果、ある構成要件が整えばそれらが可能になるという点の見いだされたことが、スーパーシンクタンクの概念提起の背景にあります。
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2009年03月19日

ふぐ調理免許と経営免許  2009.3/19

 ふぐ調理師の免許ができたのは、古代からのふぐ食用の歴史から見るとごく最近のことといえます。実際に猛毒があって「当たる」のは、ふぐの中でも意外にごくわずか(一説には一万分の一)の個体なのだそうで、昔の料理人の中には、自分の発見した特別の調理法で毒を消すことができているのだと信じて、ふぐのキモや卵巣を使った料理を客に出し続ける人もいたようです。
 それでも中毒客を出さないですんだとすれば、それは実は運が良かっただけということですが、おそらく当の調理人は、時と共に自信を強め、自分の調理法を固守するようになっていったことが想像されます。
 しかし、そういう「安全なき安心」の夢想は、あるときあっけなく破れるわけです。
 さて、企業経営の世界は、現在に至るも、ふぐ調理の免許がなかった時代さながらで、危ない経営が横行していますが、当の経営者がそれに気付いていません。むしろ、会社が続いてきたことで自信を強め、世間にも認められて、経営法とすら呼べない自分の偏ったやり方を固守するケースにあふれています。
 そうした、いわば無免許経営の危うさは、新たな激変の時代に入ってはなおのこと、大小を問わず、あるときなぜかあっというまに行き詰まるという形で顕在化するでありましょう。
 ふぐ調理に際して守るべき原則の確立のためには、現場の調理人の経験見聞のみでは不十分であり、研究者の突き止めた知識が必要でした。
 経営過程が五体満足であるための要件は、やはり研究成果としての適動設計の大原則から導かれます。
 それに比べると、過去の成功企業の経営の共通点を探って抽出したような類のものは、一見説得力があっても、肝腎な要素を置き去りにして気付かないきらいがあります。
 ふぐ調理の話に置き換えると、毒のありようについて未知の時代に、長年にわたり一度も中毒客を出していない多数の“優秀な”料理人から調理法を聞き出して共通点をまとめても、そこには説得力“しか”ないという構図に近いものがあります。現状追認型の学問の見かけ倒しには要注意です。
 今年で開始以来六年目となる「経営免許講座」は、経営の世界を無免許の時代から有免許の時代に変えていこうとする試みでもあります。ほどなく消えていく、また変わろうとしない過去タイプの経営者よりも、次世代を担う若手の経営志望者、経営者の相談を受ける立場の方に、是非学んでいただきたいものです。また社会の転換に伴い大幅に増えると見られる個人事業者においても、経営免許の考え方が浸透することを願っています。

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2009年03月15日

志と命・命がけに値するものを持つ幸せ 2009. 3/15

 多くの人は自分の命が一番大事で、そのほかは生きていることを前提として、その人なりの諸事の価値づけをしています。
 しかし一旦「志(天命・人生理念・大義)」に目覚めると、自己の生命は志を遂行するための材料の一つとなり、一種の逆転が起こります。
 私がよく言う「自分のための何か」から「何かのための自分」への、生き方・意識の転換です。
 この序列の反転があってこそ、真の「立志」があり、「志士」の誕生と言えるのです。
 利己心の枠内で、格好を付けるために理念をたてようとする人には、この転換が起こりません。そのことはおのずと言動に現れますので、経験者から見れば、判然としています。
 それでも、文言をそれらしくして人生理念と称するものを作ることはできるかも知れません。そこまでして時代の志士をきどっても、「ニセ志士」ぶりは隠しようもありませんから、滑稽な話になります。
 利己心がなぜ転換を妨げるかというと、命より大事なものに目覚めてしまっては、相対的にこの大事な命を粗末にするようになると想像し、そんなことはまっぴらだと拒否したくなるからです。
 ところが実際は立志を経た後の方が、自分の命の大切さの認識は低下するのではなく、より高まると言えます。それは、ただ生きているだけの命よりも、重大な使命を自覚して遂行している命の方が、天の意志に適い、より役に立っていて、存在意義も大きいことが明らかだからです。したがって、立志以前よりも堂々と、理由を持って生き、より胸を張って自分の命を大切にできるようになります。
 チンケな禁欲主義や失敗願望、不幸願望のような、背後で利己心とつながった偏向から解放されて、楽しく生きることにも抵抗がなくなります。
 そうした中の特別なケースとして、訳があって死を選ぶこともありえましょう。しかし、そのときですら、意味のある命の終え方の方が、そうでない死に方よりも納得感が強いだけ救われているはずです。惜しまれつつ平然と死に臨む立派な姿は、命を粗末にしているのとは全く違います。
 片や利己の生涯を送った人は、たとえどんな意味があっても死ぬのは御免で、それでもいつか訪れる死に際にあたっては、人に惜しまれない命を自分だけが惜しみながら、いやでも失われる命に執着し、苦悩と絶望にさいなまれて最期を迎えるようになります。
 大切な命に優る大切な使命を持って生きる嬉しさは、目覚めてみればかけがえのないものです

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2009年03月10日

納税マニア成るか? 2009.3/10

 毎月巡回出張をしていますが、今月は所得税・消費税の申告期限の月であり、出発前の週末前のさらに予定でふさがっている日の前までに申告書を作成して、届け出る必要がありました。(現在東京)
 サラリーマン社会では一般に所得税の処理は会社が代行しますので、社長も含めほとんどの人が税の申告の実務については知らないで済んでいると思われます。
 私の場合、課税対象となる最低所得にもはるかに及ばない頃から勉強も兼ねて申告手続きを始めましたが、「書き方」「手引き」といった資料をいくら読んで考えても書き方が分からないのにはうんざりさせられたものです。
 あるマンガに、毎年納税手続きが終わると一週間氷枕をして寝込むという焼鳥屋のばあさんの話がありましたが、自営業の納税者にとって、年に一度の極めて煩わしい関門と言えるでしょう。これがおわると、まるで女性がお産を済ませた時(想像ですが)のように、スッキリと解き放たれた気分になります。
 こんなに分かりにくいものを、一体ほかの人たちはどうしているのだろうという疑問も当然わいてきます。そうすると、地区ごとに納税の相談日というものがあって、そこで分からないことを聞けるということだと思い、質問事項をたくさんメモして会場に行ってみました。そこではなんと大勢の人たちが帳簿などを持参して、税務署の人に個別に作成を代行してもらっている姿がありました。どうせ税務職員に依存しているのだから「手引き」などは分からなくても良いのです。むしろ分かりにくさ、面倒くささを維持して全国の税理士などの仕事を確保しようとしているのではないかと疑いたくなったほどです。しかもその代行記入の実態は、私から見ると依存納税者がまるで鬼の餌食になったように、「手引き」に書かれてもいない基準で、容赦なく限界までむしられます。親切で設けられた相談日ではないわけです。
 ただでさえ忙しい時間を割いての申告書の作成ですが、その中であえて一手間余分に掛けてでも、翌年の同じ作業が少しでも楽にできるように、毎年工夫を付け加えていきました。たとえば、郵送されてくる源泉徴収票、生命保険料に係る控除額の通知などを、日頃から一カ所に収めて散逸しないように、表示を付けた保管箱を作るなどです。作業にかかる前に、必要なものを取りそろえるための一覧表づくりもしました。
 とくに、表計算ソフトを使っての作業において、計算や作表の細部で自動化・統合化する部分をだんだんと増やしていきました。
 こうした、より便利にする工夫や改善の追加が毎年なされて、納税歴三十余年にも及ぶと、あたかも利子に利子が付いて残高が倍加するがごとき大差が発生するものです。
 最近では、帳簿の現データから、並べ替えの手数なしに月別、科目別、相手先別などの集計が自動的にできるようになりましたので、たとえば、遅れて一枚の領収書が出てきた場合、その一枚のために並べ替え・再集計・再転記の作業をしなくても、帳簿の末尾に1行書き加えるだけで各種集計が自動的に変わり、瞬間的に新しい申告書ができるという、当初からすれば夢のような簡単さが実現しています。その小気味よさは一種の快感であり、一方で減少傾向の苦痛感をしのぐ気配もあって、納税経験者から納税マニアに変わるのではと考えたりもします。
 「時間がないから」と最低限のことだけして、やりっ放しにしてきたとしたら、進歩はなく、いまだに毎年変わらず大きな骨折りと辛苦を繰り返しているはずです。「時間がないからこそ工夫のための時間を取る」・・これが体験しお勧めできる対処のあり方です。これは、「金がないからこそ勉強(種まき)に金を使う」という精神にも通じます。自治体で言えば「財政難だからこそ、予算を割いて新産業の芽を育てる」といったことです。
 工夫を重ねる間、分かりにくさに対する考え方も変化(進歩)しました。どうなのか分からない、分かるように書いてないことは、結局税務署にとってどうでもよいことなのであり、どうなりともするがよいというメッセージにほかならないことが多いわけです。とくに税額に変化が及ばないような部分に関しては全くそうだと思われます。そのどうでもよいことが大層に見え、疑問点・不明点に結論を出さねば前に進めないと思い込んでいたこと自体が、素人の浅はかさであったと言える面があります。分からない(任せられた)部分は、とりあえずテキトー(常識的)に判断しておいて、もしあとで間違いだと指摘されるようなことがあったら、「そんなことは、どこに“分かるように”書いてあるんですか!?」と反問するつもりでいるくらいに図太く構えていればよいのではないでしょうか。
 ある知人の税理士が、以前の課税には一応の「理」というものがあったが、最近はなりふり構わぬ税金の取り方になっていると述べていました。納税書類作成の作業は、あたかも増築を重ねた旅館の複雑な廊下のごとくわかりにくく、また諸方面のメンツを立てんがための、本来無用な煩雑さに満ちているように見えます。今度日本が生まれ変わるときには、この点についても抜本改革を提言したいところです。
 これから社会の構造変化に伴って、自営業者が急速に増えるという予想があります。自立・自営の道を歩み始めた人々に、素人納税者の目線で蓄積してきた経験やノウハウを参考にし役立ててもらえばと思うようになってきた昨今です。
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2009年01月28日

いよいよ始まった“終わり”  2009.1/28

 この度の世界経済の同時縮小は、大量消費経済連鎖の急停止によるもので、いわゆる景気の浮き沈みのような波動性のものではありません。しかも無理な延長の末の破局ですから、そのツケの到来は過酷を極めるはずです。しばらく我慢すれば緩和されてやがて元に戻るのではなく、これまでの社会が終末を迎え、全く新しい社会に突入していくものと捉えるのが妥当でありましょう。
 これに伴う深刻な問題は、「食べていくための仕事」が世界から大量に失われることです。
 現代社会においてはもともと、「労働力=生産力」という昔ながらの図式の成り立つ社会構造が、かなり変移してきており、労働・職能の交換価値は相対的に下がってきています。そこにこの経済崩潰ですから、古い考えの延長で景気対策や雇用対策を試みても、所詮焼け石に水で、解決には到底つながらないでありましょう。
 食えない人たちが溢れかえる社会に対して国家レベルで為す術(すべ)はと問われれば、まず一つは農業の姿を大転換して「自作自給の民(自産階層)」を育成し、ここに経済難民を吸収することが挙げられます。(国民皆農)
 次に既存事業の延命支援や新事業の奨励といったレベルではなく、産業単位での創出つまり新産業の振興育成があります。そこにはじめてまとまった雇用も生み出されます。有望な新産業に関してはすでに研究済みです。(産業創造)
 とくに日本は新たな価値の源泉を創るための「目的型研究」を振興し、研究立国を通じて世界に役立つことが望まれます。
 また国政による支援や推進が期待しにくい生活防衛策としては、企業体の成員と家族を含めた自治共同体化や、理念を共にする広域の共同体の設立、とくにハイパーインフレに備えての共同体通貨システムも準備しておくべきでありましょう。
 旧秩序の終焉は自滅的に進んでいくので、壊す活動はあまり要らないようです。新社会建設期の準備を整えて、行動の時期を見極めていくべき時です。

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2009年01月16日

溺れる者は・・  2009.1/16

 「溺れる者はワラをもつかむ」というのが通常のことわざですが、私は少し言い換えて「溺れる者はワラ“を”つかむ。助かる者は浮き輪をつかむ。」と言ってきました。
 ワラを見つけてつかんでいる者の視野にはワラ以外の物はかえって映りにくいものです。自分がつかんだワラを越える物があるはずがないとでもいうような、かたくなな可能性の自己排除が発生していることもよくあります。
 「ワラをつかんで溺れる者、浮き輪をつかんで助かる者」という構図を知って思い出すことにより、努力はしているが思わしくないという現状で、もしや自分がつかんでいるのはワラで、浮き輪はほかにあるのではないか、という視野の拡大を導くことができます。
 「逃げ」「先送り」「延命」といったその場しのぎの対応はたいていはワラの方に相当し、却って事態を深刻化させます。対照的に「受け止め」「先取り」「脱皮」によって抜本的な打開の道を捉える場合が浮き輪をつかむことに相当します。
 アメリカの自動車メーカーのビッグスリーは世界的な排気炭酸ガス抑制の流れに対して、政治を動かすことでそれを遠ざけてそのままビジネスをしたのに対し、日本のメーカーは新時代に対応する自動車の開発に力を入れたので、あるとき同じ土俵に上がって比較すると、アメリカのメーカーは取り返しの付かない遅れを取っていたと言われています。
 同様のことは企業のみならず個人の進路選択にも見ることができます。
 知人の紹介で、ある人(47才)から求職の相談を受けることになりました。(ご当人もこれを読んでいるかもしれません。)
 さいわい、この方は一般労働だけではなく、アート、デザイン分野の専門性のある方でしたので、私は、今は「就職」のみを考えるのではなく、むしろ屋号を掲げて個人事業を立ち上げると共に、同じ分野の独立人とネットワークを組んで集団名で受注し、各メンバーの得意を活かして良い作品を納入する仕組みの構想を打ち出し、その世話人になったらよいのではという提案をしました。
 同業者を目の敵にする習慣の人は、そうした輪に入って定着することができないので、きちんと運営すれば、自然に協調的な人によるネットワークが残ります。
 派遣切りから正社員切りが取りざたされる状況にあって、いかに首にされずに企業にしがみつくかを考える人は、どちらかといえばワラをつかんでしばらくもがいた末に溺れる側に近いでありましょう。下手をすると、最後までしがみついていた人が一番行き場のない目に遭うかも知れません。
 政治が労働者を保護したつもりで、企業の負担を重くするほど、一般企業は従来の雇用とは別の方法を考え出すことになるでしょう。派遣利用もその一形態でしたし、もうすでに人間のほとんどいない工場はずいぶん増えています。
 時代が就職とは違った身の立て方を迫っているのなら、個人も「受け止め」「先取り」「脱皮」によって抜本的な打開の道を捉えることを考慮すべき時ではないでしょうか。
 また企業の方でも、人を切る手前勝手な戦略ではなく、今こそ、働く人とその家族をも含めた共同体として運営する集団へと脱皮していく道に希望があります。
 こうしたことを踏まえた上での、志ある人材のための相談にはいつでも応じるつもりでいます。
 「見所のある若者」こそがこれからの日本の貴重な財産です。
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2008年10月18日

適動設計と3C   2008. 10/18

 進化型といえる独自の問題解決〜未来開拓の手法を、ISTと同時期に打ち立てて普及に努め始めてすでに二十数年になります。
 このたび、最善学という新たな台座を整備したことを機会に、「適動設計」という固有名称を導入することとしました。適切な行動を創出する手法の意味で、成果物が実務的最善性の裏付けを持ちうることを特色とします。
 表題にある3Cとは、ここだけの略記で、Coaching, Counseling, Consultingを指しています。
 一般にコーチングはクライアントの目標達成を手助けするのに対し、カウンセリングは主に癒しまたは治療が目的である点で性質が異なるとされているようです。共通点は、どちらも解決策そのものは提供しないでクライアントの自己発見に委ねるところです。これに対し、コンサルティングでは解決策を考え提示することを役割とする点で違いがあります。
 最善学が明らかにした大事な点は、本物(正則型)の理念が不在のもとでは、基本的に最善策とは縁のない所にいるということです。畑で、どんな堀り方をしたらハマグリが出るか試行錯誤しても根本的に無理なのと似ています。
 それゆえ適動設計を知った観点からは、最善性追究機能を持たないで行われる在来の方法による立案行為は、たとえいかに専門的で有効に見えても、どれだけの可能性を置き去りにしたかわからない、“目隠しつかみ取り一発決め”の域を出ていないことになります。
 適動設計を装備しない段階での、3Cに共通の問題点は、解決策を誰が出すにせよ、それに最善性を期待できないだけでなく、体系的に段階を追った掘り下げ・追究の過程を踏むことなく答えを出そうとするため、頭の引き出しに専門知識がある場合も含め、単純反応的な短絡的対策に飛びつきがちなところです。とくにコーチング、カウンセリングでは、クライアントが「答えが見付かった!」と思って決めてしまった案に、浅慮や難点のあるケースは多々あると思われます。したがって最終的に期待に添わないばかりか、ときには過ちに拍車を掛け、本来の到達点からクライアントを急速に遠ざけてしまう恐れがあります。
 問題の発見を妨げる壁を乗り越えて解決策に到達するための、法則化された過程を知らないでは、クライアントが落とし穴にはまるのを防ぎつつ本当に望ましい対処の発案をもたらすことは困難です。
 以前、少年による家庭内暴力に悩む父親が、とうとう寝ている息子を金属バットで殴り、殺害してしまった事件がありました。その父親はのカウンセリング的な指導を受けていましたが、カウンセラーは無抵抗を提言し「お父さん、もう少しです、頑張りましょう。」と励ますだけだったようです。
 3Cに携わる人たちは、その資格と併せて適動設計を学び「解決士」の資格をも持つようにしないと、ある種の問題に関しては無力なまま、危ない内容の仕事をしてしまい、将来、最善性追究の余地が知られた段階では、過去のクライアントに対する無責任のそしり、あるいはもっと深刻な非難を受けても仕方がなくなる可能性を認識する必要がありましょう。

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